残暑と言うにはあまりにも暑い京都の、日が暮れて間もない青い空気の中に私はいた。部活の帰り道、同回生とキャンパス内を自転車置き場に向かって歩いているところだった。並木から聴こえる、虫の声がうるさかった。
父からの着信。
「おじいちゃんが亡くなったから帰って来い」
覚悟はなんとなくできていた。お盆に帰省したとき、私はおじいちゃんの病室に泊まった。夜中に酸素を自分で外してしまうので、付け直すためだ。おじいちゃんが入院してからは、家族が毎日交代で泊まっていた。
「おじいちゃん、酸素外すと苦しいから取っちゃダメだよ」
と言うと、
「ほーかい?(そうなの)」
と毎回驚いた顔をするのがおかしかった。
子供の頃、毎晩おじいちゃんがお風呂に入れてくれた。弟と一緒に、熱々のお風呂の中でおじいちゃんの昔の話を聞いた。戦争に行った時のこと、シベリアで捕虜になった時のこと。色々話してくれた。おじいちゃんはお風呂に入ってくるコオロギを、秒で退治してくれた。体がかゆいと言ったら
「めたこすればいいだ(どんどんこすればいい)」
と言って、ナイロンタオルでガシガシと背中を擦ってくれた。乾燥肌の私の肌は、どんどんカサカサになった。そして、カサカサの肌に、おばあちゃんの作ったドクダミの化粧水(アルコール強め)をつけるのが沁みて痛くて嫌だった。おじいちゃん、乾燥肌は優しく擦らなきゃダメなんだよって、今なら言える。
いつも厳しいおじいちゃんだったけど、牛舎でお母さんに髪の毛を切ってもらった時、どう?って聞いたら
「かわいい、かわいいよ」
と照れながら言ってくれた。
お酒が全く飲めなくて、サイダーでも酔えると言ってよく飲むので、缶のサイダーが冷蔵庫に常備されていた。
最期の時は、弟が付き添ってくれた。おじいちゃんが付けていた腕時計で臨終時刻を確認し、そのままその時計を自分の腕にはめて形見にした。お葬式の間中、弟はその時計をしていた。
久し振りに気持ちよく晴れた、おじいちゃんの命日。お墓参りに行って、みんなでサイダーで献杯をしてからお線香をあげた。弟は煙草を一本付けて、お線香と一緒に供えていた。
さて、そろそろ皆様からの突っ込みが来る頃でしょうか。
「お墓の大きさが気になって、内容が入ってきません!」
と。笑
日本珍百景の取材が来そうな、巨大墓石群です。地域の墓地を移動したときに、なぜかみんなが競って大きな墓石にしたという伝説が残っております。私たちの祖父と祖父の弟が計画して建てました。晴れた日はバックにどーんと八ヶ岳。なかなか圧巻の光景。
ちなみに私の身長は157㎝です。なぜこんな大きくしたのでしょう。本当なぞ。
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信州野辺山高原の森の入り口
八ヶ岳が一望できるこの場所で
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セラピスト 齋藤安奈
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